2020年03月一覧

2011年3月11日、私は東京ディズニーランドに居た。(後編)

前回の続きです。
繰り返しになりますが、9年前の記憶をわずかな記録から思い出して書き起こしていますので事実と異なる可能性があることをご理解ください。

7時頃だっただろうか、カートの前に行列ができているのを発見した。
列に並んでいる人に聞くとどうやら、ポップコーンが無料で配布していただけるようだとのこと。
やっと食べ物にありつける…と安堵したのと同時に、ディズニーがこの時間に食料の無料配布を決断をしたということは、今日はほとんどのゲストが帰るのが難しいと判断されたのかもしれない。
行列はとにかく長く、30分以上並んでキャラメルポップコーンを手にした。
確か、2人で一つを食べたような記憶があるので個数に規制があったのかもしれない。
それとも彼が遠慮したのかもしれない、その辺りは忘れてしまった。
ポップコーンの甘さがとにかく心にしみた記憶が残っている。

その後も外で凍えながらひたすら室内に入れるようになるか、電車やバスの運行が始まる知らせを待つしかなかった。
今振り返っても、この時間が一番長く感じたと思う。

そして、23時は過ぎていたと思う。24時に近かったかも。
ようやく近くにあったモンスターズインクの建物に入ることができるようになったことが分かった。
パニックを防ぐために大々的な情報提供は避けていたようなので、もしかしたら他の建物はもっと早くに入れるところもあったのかもしれない。
モンスターズインクが開いているというのが分かったのも、人の移動を見てようやくわかったことだった。

ただ、結局この建物には私たちは入ることはなかった。
人が多すぎて、とてもではないけど寝転ぶ場所を確保できそうになかった。
だけど、これでどうやら建物の中で夜を明かすことができそうだと希望の光が見えてきたので、少し歩き回って場所を探すことにした
色々と探し回った結果、私たちはスペースマウンテンに場所を確保することにした。
待ち列を区切るためのスタンションの間で、段ボールを敷いていろんな人が寝ころんでいた。
そんなに幅は広くないしたくさんの人がいるので足を完全に伸ばせる状態ではなかったけど横になれるだけでうれしかった。
入口ではキャストの方が金色の非常用ブランケットを配布してくださった。
正直とても「夢の国」とは思えないほどの光景だったけど外の寒さと比べたら天国のような環境だった。
改めて今ここは安全だとはいえ、被災地なんだなと感じた。

建物に入って少ししても、24時を回っているにも関わらず不安で全然眠くなかった。
だけど体力は消費していたのでゆっくり体を横にできる場所が確保できたことがうれしかった。
周りを見ると、お菓子やひじきご飯を持っている人もいたので「どこで手に入れられますか?」と質問してみると、この建物の壁際に情報が張ってあったりひじきご飯を配っている場所がありますよ、とのこと。
なかなか情報が手に入らなかったのでありがたい。
ほっとしたことで少しまた空腹感を覚えたので、二人でもらいに行くことにした。

ひじきごはんとお菓子を無事に手に入れて戻る途中、同じスペースマウンテンの建物の入り口のほうにお母さんと幼稚園生くらいの小さなこどもがいた。
こどもはずっとグズグズ半泣きのような感じで、そうだよな家族連れも居るんだもんな大変だなぁと思った。
当時はまだこども関係の仕事にはついていなかったけれど、そのころから好きだったので声をかけてみることにした。
外にいるときは体をぎゅっと固めてほかの人と関わる勇気を持つことが出来なかったけど、室内に入って気が緩んだのか、同じ建物にいるという仲間意識からかほかの人と話す事に抵抗がなくなっていたような気がする。

「大丈夫ですか?外でお菓子を配っていましたよ」と声をかけるとお子さんはちらりとこちらを見てお母さんに抱き着く腕に力をこめたように見えた。
大人でもこんなに不安なんだ、しかも夜遅くて体力の限界でもあったのかもしれないな。
「そうなんですね、ありがとうございます…でもこどもがこんな調子なので…」とお母さんも疲れた様子でおっしゃった。
すると彼が私に「いい?」と短く尋ね「おこさん、チョコレート好きですか?よかったらこれ。」とさっきもらったチョコクランキーを差し出した。
お母さんは少しびっくりした様子で「え…でも…」と一瞬迷うそぶりを見せて「ありがとうございます」と受け取ってくれた。

私たちは自分たちの場所に戻って、ひじきご飯を食べながら少し情報を集めることにした。
私のガラケーでネットが少し使えるようになったのでmixi(当時はメジャーだったのですよ)とtwitterを開いてみると、関西に住んでいる友人同士すら安否報告や揺れを感じたことを書いており改めて地震の大きさを実感した。
数人には関東に行く日程を告げていたので、心配してくれた友人に「ディズニーにいるよ」「動けないけど無事だよ」とコメントを返すと夜中にも関わらず反応が返ってきた。
「気を付けてね」「無事でよかった」というものが大半だったけれど、「ディズニー泊まれるのかなうらやましい」「いいな」といったものもあって気にかけてくれるのが嬉しかった半面、少し困惑してしまった。

だけど、そんな小さな戸惑いなどほんの数分後に吹き飛んでしまった。
彼の携帯のワンセグでテレビを見たとき、あの津波の映像が流れたのだ。
とてもじゃないけど、信じられなかった。
これが、日本?冗談でしょう?映画か何かでは?
急にひじきご飯の味がしなくなった気がした。

そのあと、どこでも寝られる彼は疲れていたのかすぐに寝てしまった。
でも、私はどうしても眠ることができなかった。
彼が寝ているから私が起きておかなきゃっていうのも意識の中にあったけど、頭の中で何度も何度も津波の映像が繰り返し流れていた。
周りの人も、寝ている人は少なかったかもしれない。

朝早く、朝ごはんが配られた。
ハンバーガーのバンズの部分のようなパンと紙コップに入ったコーンスープが配られた。
温かいスープが心に染み入るようだった。

横になれたとはいえ、狭い場所だったし段ボールの上で横たわっていたので背中やおしりが痛くなってきたので二人で朝の散歩にでかけることにした。
外には、たしか広い橋のような場所?だったと思うのだけど、何人かが段ボールでバリケードを作って寝ていた。
言ってしまうとホームレスの方の家のようなものが何件かできていた。
室内に場所を確保できなかったのか、もしくは地震の不安から室内や屋根のある場所に入ることの恐怖心があったのかもしれないなと思った。

人気の少ないディズニーランドをお散歩するのはものすごく奇妙なかんじだったけど、周りのものがかわいらしいので、それだけで少しだけ気持ちが救われたような気がした。
歩き回っていると、公衆電話を発見したので彼の実家に連絡を取ることにした。
この時には非常時仕様になっていて、お金を入れなくても電話をすることができるようになっていた。
彼は昨日のうちにメールで無事を知らせてはいたものの、ディズニーランドにいるとは言っていなかったのでお母さんがものすごく驚かれたようだった。
彼の大学も近場だし、バイト先も普段は電車で通っているけど3時間くらい歩けば帰れるくらいの距離だったので全くの想定外だったようで車で迎えに行くか聞かれたらしい。
もしかしたらお願いするかもしれないけど液状化の影響も心配だし、さすがに今日は電車が動くと思うから、と断っていた。

昼前ごろ、夜に一睡もできなかった私はフラフラになってしまい、仮眠をとれる場所を探すことにした。
昨日の夜はいっぱいだったモンスターズインクの場所が少し空いているようでそこで少し寝させてもらった。
結果的に彼と私で交代で睡眠をとることができてよかったなと思う。
2時間くらいだったかな、眠りから覚めると彼は自分のタオルか何かで作ったボールで壁打ちしていた。
そのころにはそれくらい人の数が減っていたのだ。
晴れていて昨日より暖かかったから外に出た人もいただろうし、迎えが来た人もいたのかもしれない。
一部情報では京葉線はまだ動いていなかったものの、ほかの運行再開した駅までのバスがあったらしい。

結局、京葉線は私が起きた少し後に動き出してそれに乗ってディズニーランドを後にすることになった。
12日も電車の運行がまだスムーズとは言えず、乗り換えでは30分以上待ったりしたので結局彼の家に着いたのは夜だった。
電車はかなり空いていたけど、駅では「どうしてちゃんと電車を動かせないんだ!」と駅員さんを怒鳴りつけている人を目にすることもあった。
彼の家の中は、少し物が動いたりレコードの山が崩れたりしていたけどほぼ被害はなかった。
やっと日常に帰ったなと思った。

最後に

これが、私たちが過ごした2011年3月11日・12日の記録です。
本当はもう少し前に書き出していればもっと鮮明に、いろんな情報を加えられたのだろうけれど、震災直後はそれどころじゃなかったような気がします。
それに、なんだかこうやって発信するのが申し訳ないような気がしていたのもあるかもしれません。
ご存知のように、東日本大震災ではたくさんの方が被害を受けて、亡くなられて。
首都圏に限ってみても、何十キロも歩いた方だってたくさんいらっしゃるし、そんな中でも働いていてくださった方もたくさんいて。
そういう方々と比べれば私の経験なんてちっぽけなものだし、ものすごく恵まれていた。
それでもやっぱり自分の中では結構大変な二日間だったので明るく語ることもできないし。

けど、9年たってそうじゃないな、書き記しておきたいなって思ったんです。
うまく書けなくても、小さな出来事でも覚えて置きたいことは残しておこうって。
出会った人とか、目にしたこととか、自分の感情とかどうしても忘れたり色あせてしまうから。
公開したいことも非公開で書いておきたいこともあるけれど、この日の記録は公開したいと思いました。

あの日力になってくださったすべての方に感謝しています。


2011年3月11日、私は東京ディズニーランドに居た。(前編)

3月11日ですね。
あれから、9年が経ちました。
もう9年なのか、まだ9年なのかは一人一人感じ方が違うと思います。
けれど、何年たっても忘れてはならない日だと強く思います。

今日は私にとってのあの日を思い出して、これ以上記憶が薄れてしまう前に残しておこうと思います。
ただ、私の記憶と少しの当時の記録から書き起こしているので、事実と違う点があるかもしれません。
ご理解ください。

9年前、私は大阪に住んでいた。
ただ、千葉県に住む彼氏と付き合っていたので関東にも度々訪れていた。
いつもはあまり出かけたりせず彼の家で過ごすことが多かったが、本当にたまたまディズニーランドに出かけることにした。
私にとっては物心ついてからは2回目の来園、彼も似たようなものだったように思う。

千葉県に住んでいるとはいえ、舞浜には近くなく一度東京駅を経由しなければいけないので電車で一時間以上かかった。
舞浜についてからもお店で帽子を買ったりしていたので、ディズニーランドについた時点でお昼近く。
乗り物の待ち時間もすでにかなり長かった。
小腹が空いていたのと気分を上げるためにターキーをゲット。二人で1つを分け合いながら何に並ぶかの話し合い。
取り合えず絶叫系は押さえておきたいよねー、あとはなんか一つくらい乗り物乗ってパレードかショー見られたら満足かなーということでひとまずスペース・マウンテンのファストパスをゲット。
ビックサンダー・マウンテンに並ぶことに。

無事に乗り終えるとすでに2時半を回っていた。
ターキーを食べたとはいえさすがにおなかが空いてきて、レストランに入るかカートで何か買って並びながら食べるか迷いながら歩いていると何やらパレードが始まるらしいことが分かった。
とりあえずちょっと見る?と話していたら。

足元が揺れたような。
あれ?地震?眩暈?気のせい?と思っているうちにあれよあれよと揺れが強くなりすぐ隣の木々がゆさゆさと音をたてて揺れる。
一瞬呆然として、慌ててしゃがみこみました。

近くのキャストさんが「木から離れましょう!」と声をかけてくれ、どうにか這うようにしてパレード待ちをしていた人でにぎわう方へ移動した。
しばらくして、近くのレストランからゲストが何人も走ってやってきた。
キャストさんたちは「落ち着いてください、低い姿勢をとってください」と繰り返し案内してくれた。

揺れがおさまってからもここにとどまるように言われ、待機。

正直、この時点ではまだどれ位大きな地震だったのか現実感が沸かず「これ、どうなるんだろう?」「乗り物とか全部止まるよね、多分…」「今日中に復旧するのかな…」などと話していたのを覚えている。

しかし、キャストさんたちが無線を付けた人のところに集まって深刻そうな顔をして指示を受けていたり、一向に移動して良いと言われない事で段々と「あ、これ本当にまずいことになってるのかもしれない」と理解した。
そして「三陸沖でマグニチュード8.8の地震が起きました。その場で待機をお願いします。」と初報のアナウンスが。(後にマグニチュード9.0と修正されました。)
咄嗟に思い浮かんだのが2009年ノイタミナ枠で放送されていたアニメ。
「大地震のあのアニメって…東京マグニチュード8.0だったよね」
そうつぶやくと、彼はハッと息を飲み表情を変え「そうか、あれより大きいのか…」と言った。
ただ、それでもまだ実感は湧かなかった。

しばらくして、シンデレラ城前の広場に集められそこで待機することに。
建物は安全確認ができるまで入れないとのことで、お店などからもゲストを広場に誘導していたためかなりの人数がそこに集まっていた。
断続的に余震が起こるため、かなりの時間そこで座っていたと記憶している。

やがて、雨がパラパラと降ってきた。
天気予報では降るといっていなかったのでほとんどのゲストが傘を持っていない状態。
雨が降り出してから、それまではまだ楽しそうにしていた周りの中高生らしきグループがみるみるうちに元気がなくなっていったのが印象深い。
ショップの店員さんが大きめの袋をゲストに配って下さり、どうにか顔や頭だけは濡れないようにできた。
雨は長くは続かなかったものの、日差しがさえぎられると暖冬の今年からは考えられないくらい冷え込んできた。
冬物のモッズコートを着ていたけれどそれでも寒さを感じたし、地面に座り込んでいたためスカートにタイツだった足がとても寒かった。
地震前に帽子を買っていたので頭部だけでも暖を取ることができたのがせめてもの救いだった。

今考えると、夏場なら熱中症になる人が続出していただろうし、真冬でなかったからまだましだったのかもしれない。
けれど当時はそんなことを考える余裕は無かったし、凍えると更にマイナス思考になる。
加えて、入ってくる情報は京葉線・武蔵野線どころかほぼすべての路線が止まっている、安全確認が済むまではパークの外には出られない、しかも外は液状化しているなどネガティブなものばかり。
この時点で私は、今日中には帰れないかもしれない…でも閉園時間を過ぎたらどこに行けばいいんだろうかと考え出していた。
彼の家まで歩く?でも道が分からない、せめて回り込まずに行ける路線があれば線路をたどって歩けたかもしれないけど…と考え込んでしまう。

4時を過ぎたころ、漸く移動しても良いといわれたもののまだワールドバザールの安全確認ができていない状態で出るのは無理だそう。
また、この時点での情報では一度出てしまうと再入園できる保証はない、できれば園内に待機したほうが安全だと思われるとのこと。
乗り物はもちろん、ショーやパレードも当然ないわけで、建物にもまだ入れないしとりあえずひたすら待つしかないよね、ととりあえずどこか床でなくて座れる場所を探し歩くことに。
その前にまずは一応トイレに行っておこうと向かって驚いた。
アトラクションですか?と思うくらい人が並んでいる。
女子トイレのほうが長いものの、男子トイレも今まで見たことがないくらい長い列。
建物をぐるっと囲んで折り返している。

携帯もメールと通話はまだつながらないから、お互いトイレが終わったら落ち合うことに。
当時はまだスマホが今ほど普及して居なくて、彼はスマホだけど私はガラケーだったし、おそらくLINEもまだなかったからメール、通話を封じられるとツイッターなどを経由するしか連絡手段がない。
しかもいつ帰れるか分からないし、帰る途中に乗り換えの線が止まるかもしれないし最悪歩くルートを検索するかもしれない。
バッテリーはなるべく消費したくなかった。

結局40分以上かけて女子トイレにたどりついた。これだけの混雑なのにトイレはきれいに保たれていた。
混雑をなるべく和らげるため、キャストの方が空室確認・誘導をしてくださっていた。
明かりが若干暗いような気がしたのでもしかしたら節電していたのかも。
あるいは自分の気分の落ち込みがそう感じさせたのかもしれないけれど。

合流して、座れるところを探したけれど何処に行っても人であふれている…。
結局レストランの近くのちょっとした段差に陣取ることにした。
とにかくおなかが減っていたし、幸い500mlの水は持っていたものの何時間かかるか飲食物は手に入るのかがわからない。
それに、きっとどこへ行っても混雑状況が変わらないだろうと思った。

とはいえ、何時間か経つと同じ姿勢でいるのも辛くなってきて少し歩いてみることにした。
すると、なにやらゴミ袋を身にまとっている人が多い場所があることに気が付きました。
とにかく寒かったので、もし頂けるならと近くにいたキャストさんに話しかけるとどこからか「1枚だけしかお渡しできなくて申し訳ないのですが」と探してきてくださった。
比較的厚手のジャケットを着ていた彼は私にゴミ袋を譲ってくれたので、3か所に穴をあけて頭からかぶり、ベストのような状態で着ることに。
少し寒さが和らいだような気がした。少なくとも吹き込む海風を遮るためには確実に役に立ってくれた。
代わりに私の帽子は彼に譲ることに。結局交代でつけることになったけれど。
ピンク色のチェシャ猫の帽子をかぶる彼とゴミ袋をベストにする私は明らかにおかしな恰好だったけれど、そんなことは構っていられなかった。
そして、誰も気にしていなかった。

それ位あの日は誰もがなりふり構わず全てを駆使して寒さをしのいでいたのだ。

過去の天気予報によると、あの日東京の最低気温は2.9度だったようだ。
海風の吹くディズニーランドでは体感気温は更に低かったのではないかと思う。


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