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2011年3月11日、私は東京ディズニーランドに居た。(前編)

3月11日ですね。
あれから、9年が経ちました。
もう9年なのか、まだ9年なのかは一人一人感じ方が違うと思います。
けれど、何年たっても忘れてはならない日だと強く思います。

今日は私にとってのあの日を思い出して、これ以上記憶が薄れてしまう前に残しておこうと思います。
ただ、私の記憶と少しの当時の記録から書き起こしているので、事実と違う点があるかもしれません。
ご理解ください。

9年前、私は大阪に住んでいた。
ただ、千葉県に住む彼氏と付き合っていたので関東にも度々訪れていた。
いつもはあまり出かけたりせず彼の家で過ごすことが多かったが、本当にたまたまディズニーランドに出かけることにした。
私にとっては物心ついてからは2回目の来園、彼も似たようなものだったように思う。

千葉県に住んでいるとはいえ、舞浜には近くなく一度東京駅を経由しなければいけないので電車で一時間以上かかった。
舞浜についてからもお店で帽子を買ったりしていたので、ディズニーランドについた時点でお昼近く。
乗り物の待ち時間もすでにかなり長かった。
小腹が空いていたのと気分を上げるためにターキーをゲット。二人で1つを分け合いながら何に並ぶかの話し合い。
取り合えず絶叫系は押さえておきたいよねー、あとはなんか一つくらい乗り物乗ってパレードかショー見られたら満足かなーということでひとまずスペース・マウンテンのファストパスをゲット。
ビックサンダー・マウンテンに並ぶことに。

無事に乗り終えるとすでに2時半を回っていた。
ターキーを食べたとはいえさすがにおなかが空いてきて、レストランに入るかカートで何か買って並びながら食べるか迷いながら歩いていると何やらパレードが始まるらしいことが分かった。
とりあえずちょっと見る?と話していたら。

足元が揺れたような。
あれ?地震?眩暈?気のせい?と思っているうちにあれよあれよと揺れが強くなりすぐ隣の木々がゆさゆさと音をたてて揺れる。
一瞬呆然として、慌ててしゃがみこみました。

近くのキャストさんが「木から離れましょう!」と声をかけてくれ、どうにか這うようにしてパレード待ちをしていた人でにぎわう方へ移動した。
しばらくして、近くのレストランからゲストが何人も走ってやってきた。
キャストさんたちは「落ち着いてください、低い姿勢をとってください」と繰り返し案内してくれた。

揺れがおさまってからもここにとどまるように言われ、待機。

正直、この時点ではまだどれ位大きな地震だったのか現実感が沸かず「これ、どうなるんだろう?」「乗り物とか全部止まるよね、多分…」「今日中に復旧するのかな…」などと話していたのを覚えている。

しかし、キャストさんたちが無線を付けた人のところに集まって深刻そうな顔をして指示を受けていたり、一向に移動して良いと言われない事で段々と「あ、これ本当にまずいことになってるのかもしれない」と理解した。
そして「三陸沖でマグニチュード8.8の地震が起きました。その場で待機をお願いします。」と初報のアナウンスが。(後にマグニチュード9.0と修正されました。)
咄嗟に思い浮かんだのが2009年ノイタミナ枠で放送されていたアニメ。
「大地震のあのアニメって…東京マグニチュード8.0だったよね」
そうつぶやくと、彼はハッと息を飲み表情を変え「そうか、あれより大きいのか…」と言った。
ただ、それでもまだ実感は湧かなかった。

しばらくして、シンデレラ城前の広場に集められそこで待機することに。
建物は安全確認ができるまで入れないとのことで、お店などからもゲストを広場に誘導していたためかなりの人数がそこに集まっていた。
断続的に余震が起こるため、かなりの時間そこで座っていたと記憶している。

やがて、雨がパラパラと降ってきた。
天気予報では降るといっていなかったのでほとんどのゲストが傘を持っていない状態。
雨が降り出してから、それまではまだ楽しそうにしていた周りの中高生らしきグループがみるみるうちに元気がなくなっていったのが印象深い。
ショップの店員さんが大きめの袋をゲストに配って下さり、どうにか顔や頭だけは濡れないようにできた。
雨は長くは続かなかったものの、日差しがさえぎられると暖冬の今年からは考えられないくらい冷え込んできた。
冬物のモッズコートを着ていたけれどそれでも寒さを感じたし、地面に座り込んでいたためスカートにタイツだった足がとても寒かった。
地震前に帽子を買っていたので頭部だけでも暖を取ることができたのがせめてもの救いだった。

今考えると、夏場なら熱中症になる人が続出していただろうし、真冬でなかったからまだましだったのかもしれない。
けれど当時はそんなことを考える余裕は無かったし、凍えると更にマイナス思考になる。
加えて、入ってくる情報は京葉線・武蔵野線どころかほぼすべての路線が止まっている、安全確認が済むまではパークの外には出られない、しかも外は液状化しているなどネガティブなものばかり。
この時点で私は、今日中には帰れないかもしれない…でも閉園時間を過ぎたらどこに行けばいいんだろうかと考え出していた。
彼の家まで歩く?でも道が分からない、せめて回り込まずに行ける路線があれば線路をたどって歩けたかもしれないけど…と考え込んでしまう。

4時を過ぎたころ、漸く移動しても良いといわれたもののまだワールドバザールの安全確認ができていない状態で出るのは無理だそう。
また、この時点での情報では一度出てしまうと再入園できる保証はない、できれば園内に待機したほうが安全だと思われるとのこと。
乗り物はもちろん、ショーやパレードも当然ないわけで、建物にもまだ入れないしとりあえずひたすら待つしかないよね、ととりあえずどこか床でなくて座れる場所を探し歩くことに。
その前にまずは一応トイレに行っておこうと向かって驚いた。
アトラクションですか?と思うくらい人が並んでいる。
女子トイレのほうが長いものの、男子トイレも今まで見たことがないくらい長い列。
建物をぐるっと囲んで折り返している。

携帯もメールと通話はまだつながらないから、お互いトイレが終わったら落ち合うことに。
当時はまだスマホが今ほど普及して居なくて、彼はスマホだけど私はガラケーだったし、おそらくLINEもまだなかったからメール、通話を封じられるとツイッターなどを経由するしか連絡手段がない。
しかもいつ帰れるか分からないし、帰る途中に乗り換えの線が止まるかもしれないし最悪歩くルートを検索するかもしれない。
バッテリーはなるべく消費したくなかった。

結局40分以上かけて女子トイレにたどりついた。これだけの混雑なのにトイレはきれいに保たれていた。
混雑をなるべく和らげるため、キャストの方が空室確認・誘導をしてくださっていた。
明かりが若干暗いような気がしたのでもしかしたら節電していたのかも。
あるいは自分の気分の落ち込みがそう感じさせたのかもしれないけれど。

合流して、座れるところを探したけれど何処に行っても人であふれている…。
結局レストランの近くのちょっとした段差に陣取ることにした。
とにかくおなかが減っていたし、幸い500mlの水は持っていたものの何時間かかるか飲食物は手に入るのかがわからない。
それに、きっとどこへ行っても混雑状況が変わらないだろうと思った。

とはいえ、何時間か経つと同じ姿勢でいるのも辛くなってきて少し歩いてみることにした。
すると、なにやらゴミ袋を身にまとっている人が多い場所があることに気が付きました。
とにかく寒かったので、もし頂けるならと近くにいたキャストさんに話しかけるとどこからか「1枚だけしかお渡しできなくて申し訳ないのですが」と探してきてくださった。
比較的厚手のジャケットを着ていた彼は私にゴミ袋を譲ってくれたので、3か所に穴をあけて頭からかぶり、ベストのような状態で着ることに。
少し寒さが和らいだような気がした。少なくとも吹き込む海風を遮るためには確実に役に立ってくれた。
代わりに私の帽子は彼に譲ることに。結局交代でつけることになったけれど。
ピンク色のチェシャ猫の帽子をかぶる彼とゴミ袋をベストにする私は明らかにおかしな恰好だったけれど、そんなことは構っていられなかった。
そして、誰も気にしていなかった。

それ位あの日は誰もがなりふり構わず全てを駆使して寒さをしのいでいたのだ。

過去の天気予報によると、あの日東京の最低気温は2.9度だったようだ。
海風の吹くディズニーランドでは体感気温は更に低かったのではないかと思う。


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