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2011年3月11日、私は東京ディズニーランドに居た。(後編)

前回の続きです。
繰り返しになりますが、9年前の記憶をわずかな記録から思い出して書き起こしていますので事実と異なる可能性があることをご理解ください。

7時頃だっただろうか、カートの前に行列ができているのを発見した。
列に並んでいる人に聞くとどうやら、ポップコーンが無料で配布していただけるようだとのこと。
やっと食べ物にありつける…と安堵したのと同時に、ディズニーがこの時間に食料の無料配布を決断をしたということは、今日はほとんどのゲストが帰るのが難しいと判断されたのかもしれない。
行列はとにかく長く、30分以上並んでキャラメルポップコーンを手にした。
確か、2人で一つを食べたような記憶があるので個数に規制があったのかもしれない。
それとも彼が遠慮したのかもしれない、その辺りは忘れてしまった。
ポップコーンの甘さがとにかく心にしみた記憶が残っている。

その後も外で凍えながらひたすら室内に入れるようになるか、電車やバスの運行が始まる知らせを待つしかなかった。
今振り返っても、この時間が一番長く感じたと思う。

そして、23時は過ぎていたと思う。24時に近かったかも。
ようやく近くにあったモンスターズインクの建物に入ることができるようになったことが分かった。
パニックを防ぐために大々的な情報提供は避けていたようなので、もしかしたら他の建物はもっと早くに入れるところもあったのかもしれない。
モンスターズインクが開いているというのが分かったのも、人の移動を見てようやくわかったことだった。

ただ、結局この建物には私たちは入ることはなかった。
人が多すぎて、とてもではないけど寝転ぶ場所を確保できそうになかった。
だけど、これでどうやら建物の中で夜を明かすことができそうだと希望の光が見えてきたので、少し歩き回って場所を探すことにした
色々と探し回った結果、私たちはスペースマウンテンに場所を確保することにした。
待ち列を区切るためのスタンションの間で、段ボールを敷いていろんな人が寝ころんでいた。
そんなに幅は広くないしたくさんの人がいるので足を完全に伸ばせる状態ではなかったけど横になれるだけでうれしかった。
入口ではキャストの方が金色の非常用ブランケットを配布してくださった。
正直とても「夢の国」とは思えないほどの光景だったけど外の寒さと比べたら天国のような環境だった。
改めて今ここは安全だとはいえ、被災地なんだなと感じた。

建物に入って少ししても、24時を回っているにも関わらず不安で全然眠くなかった。
だけど体力は消費していたのでゆっくり体を横にできる場所が確保できたことがうれしかった。
周りを見ると、お菓子やひじきご飯を持っている人もいたので「どこで手に入れられますか?」と質問してみると、この建物の壁際に情報が張ってあったりひじきご飯を配っている場所がありますよ、とのこと。
なかなか情報が手に入らなかったのでありがたい。
ほっとしたことで少しまた空腹感を覚えたので、二人でもらいに行くことにした。

ひじきごはんとお菓子を無事に手に入れて戻る途中、同じスペースマウンテンの建物の入り口のほうにお母さんと幼稚園生くらいの小さなこどもがいた。
こどもはずっとグズグズ半泣きのような感じで、そうだよな家族連れも居るんだもんな大変だなぁと思った。
当時はまだこども関係の仕事にはついていなかったけれど、そのころから好きだったので声をかけてみることにした。
外にいるときは体をぎゅっと固めてほかの人と関わる勇気を持つことが出来なかったけど、室内に入って気が緩んだのか、同じ建物にいるという仲間意識からかほかの人と話す事に抵抗がなくなっていたような気がする。

「大丈夫ですか?外でお菓子を配っていましたよ」と声をかけるとお子さんはちらりとこちらを見てお母さんに抱き着く腕に力をこめたように見えた。
大人でもこんなに不安なんだ、しかも夜遅くて体力の限界でもあったのかもしれないな。
「そうなんですね、ありがとうございます…でもこどもがこんな調子なので…」とお母さんも疲れた様子でおっしゃった。
すると彼が私に「いい?」と短く尋ね「おこさん、チョコレート好きですか?よかったらこれ。」とさっきもらったチョコクランキーを差し出した。
お母さんは少しびっくりした様子で「え…でも…」と一瞬迷うそぶりを見せて「ありがとうございます」と受け取ってくれた。

私たちは自分たちの場所に戻って、ひじきご飯を食べながら少し情報を集めることにした。
私のガラケーでネットが少し使えるようになったのでmixi(当時はメジャーだったのですよ)とtwitterを開いてみると、関西に住んでいる友人同士すら安否報告や揺れを感じたことを書いており改めて地震の大きさを実感した。
数人には関東に行く日程を告げていたので、心配してくれた友人に「ディズニーにいるよ」「動けないけど無事だよ」とコメントを返すと夜中にも関わらず反応が返ってきた。
「気を付けてね」「無事でよかった」というものが大半だったけれど、「ディズニー泊まれるのかなうらやましい」「いいな」といったものもあって気にかけてくれるのが嬉しかった半面、少し困惑してしまった。

だけど、そんな小さな戸惑いなどほんの数分後に吹き飛んでしまった。
彼の携帯のワンセグでテレビを見たとき、あの津波の映像が流れたのだ。
とてもじゃないけど、信じられなかった。
これが、日本?冗談でしょう?映画か何かでは?
急にひじきご飯の味がしなくなった気がした。

そのあと、どこでも寝られる彼は疲れていたのかすぐに寝てしまった。
でも、私はどうしても眠ることができなかった。
彼が寝ているから私が起きておかなきゃっていうのも意識の中にあったけど、頭の中で何度も何度も津波の映像が繰り返し流れていた。
周りの人も、寝ている人は少なかったかもしれない。

朝早く、朝ごはんが配られた。
ハンバーガーのバンズの部分のようなパンと紙コップに入ったコーンスープが配られた。
温かいスープが心に染み入るようだった。

横になれたとはいえ、狭い場所だったし段ボールの上で横たわっていたので背中やおしりが痛くなってきたので二人で朝の散歩にでかけることにした。
外には、たしか広い橋のような場所?だったと思うのだけど、何人かが段ボールでバリケードを作って寝ていた。
言ってしまうとホームレスの方の家のようなものが何件かできていた。
室内に場所を確保できなかったのか、もしくは地震の不安から室内や屋根のある場所に入ることの恐怖心があったのかもしれないなと思った。

人気の少ないディズニーランドをお散歩するのはものすごく奇妙なかんじだったけど、周りのものがかわいらしいので、それだけで少しだけ気持ちが救われたような気がした。
歩き回っていると、公衆電話を発見したので彼の実家に連絡を取ることにした。
この時には非常時仕様になっていて、お金を入れなくても電話をすることができるようになっていた。
彼は昨日のうちにメールで無事を知らせてはいたものの、ディズニーランドにいるとは言っていなかったのでお母さんがものすごく驚かれたようだった。
彼の大学も近場だし、バイト先も普段は電車で通っているけど3時間くらい歩けば帰れるくらいの距離だったので全くの想定外だったようで車で迎えに行くか聞かれたらしい。
もしかしたらお願いするかもしれないけど液状化の影響も心配だし、さすがに今日は電車が動くと思うから、と断っていた。

昼前ごろ、夜に一睡もできなかった私はフラフラになってしまい、仮眠をとれる場所を探すことにした。
昨日の夜はいっぱいだったモンスターズインクの場所が少し空いているようでそこで少し寝させてもらった。
結果的に彼と私で交代で睡眠をとることができてよかったなと思う。
2時間くらいだったかな、眠りから覚めると彼は自分のタオルか何かで作ったボールで壁打ちしていた。
そのころにはそれくらい人の数が減っていたのだ。
晴れていて昨日より暖かかったから外に出た人もいただろうし、迎えが来た人もいたのかもしれない。
一部情報では京葉線はまだ動いていなかったものの、ほかの運行再開した駅までのバスがあったらしい。

結局、京葉線は私が起きた少し後に動き出してそれに乗ってディズニーランドを後にすることになった。
12日も電車の運行がまだスムーズとは言えず、乗り換えでは30分以上待ったりしたので結局彼の家に着いたのは夜だった。
電車はかなり空いていたけど、駅では「どうしてちゃんと電車を動かせないんだ!」と駅員さんを怒鳴りつけている人を目にすることもあった。
彼の家の中は、少し物が動いたりレコードの山が崩れたりしていたけどほぼ被害はなかった。
やっと日常に帰ったなと思った。

最後に

これが、私たちが過ごした2011年3月11日・12日の記録です。
本当はもう少し前に書き出していればもっと鮮明に、いろんな情報を加えられたのだろうけれど、震災直後はそれどころじゃなかったような気がします。
それに、なんだかこうやって発信するのが申し訳ないような気がしていたのもあるかもしれません。
ご存知のように、東日本大震災ではたくさんの方が被害を受けて、亡くなられて。
首都圏に限ってみても、何十キロも歩いた方だってたくさんいらっしゃるし、そんな中でも働いていてくださった方もたくさんいて。
そういう方々と比べれば私の経験なんてちっぽけなものだし、ものすごく恵まれていた。
それでもやっぱり自分の中では結構大変な二日間だったので明るく語ることもできないし。

けど、9年たってそうじゃないな、書き記しておきたいなって思ったんです。
うまく書けなくても、小さな出来事でも覚えて置きたいことは残しておこうって。
出会った人とか、目にしたこととか、自分の感情とかどうしても忘れたり色あせてしまうから。
公開したいことも非公開で書いておきたいこともあるけれど、この日の記録は公開したいと思いました。

あの日力になってくださったすべての方に感謝しています。


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